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明石城は江戸幕府の二代目将軍・徳川秀忠の命を受け、譜代大名の小笠原忠真が1619年に築いた城です。
石垣の上に築かれている白亜の巽櫓(たつみやぐら)と坤櫓(ひつじさるやぐら)は、国の重要文化財にも指定されています。明石城としては日本の名城100選にも選ばれ、美しいその姿に日本中に多くのファンを持ちます。
1898年には皇室の御料地になり、1918年には県立明石公園として開園しました。
1995年には阪神・淡路大震災により大きな被害を受けますが、1999年には修復が完了し、現在は多くの観光客が訪れています。
※櫓(やぐら)…城の中にあり、見渡したり、矢を射たりするために使われた建物。

明石は、源氏物語「須磨・明石の巻」の舞台になり、万葉集や古今和歌集にも数々の歌が収められた歴史の町です。
なかでも格調高い歌人として名高い柿本人麻呂(660年頃から720年頃)との関わりは深く、彼を祀った「柿本神社」、「月照寺」があるほか「人丸」という地名にもその名が残っています。

紫式部(生没年不明)による世界最古の長編ロマン小説「源氏物語」にまつわる史跡も多くあります。主人公・光源氏の月見寺といわれている「無量光寺(むりょうこうじ)」や、恋人の明石の君が住んだ「岡辺の館」、光源氏が明石の君のもとへと通ったとされる「蔦(つた)の細道」などがあります。
明石は奥深く不思議な魅力を持つ町です。

明石は1618年、宮本武蔵が都市設計を行い、それをもとに整備されたと言われています。
初代藩主の小笠原忠真は、当時、客人として明石に滞在していた武蔵に、町割り(都市設計)を依頼しました。武蔵は、経済面、軍事面に知恵を絞ったみごとな設計図を仕上げ、当時の人々を驚かせたそうです。材木屋は材木町、鍛冶屋は鍛冶屋町、樽屋は樽屋町として職業ごとに住民が集められ、名前がつけられたのも大きな特長。現在でも、その名を残しています。
また、武蔵は、本松寺(上ノ丸1丁目)、円珠院(大観町)などの庭園も作庭したとされ、随所にその多彩ぶりを発揮しています。

明石は東経135度の子午線が通過していることから「子午線のまち」と言われます。それを象徴するのが明石市立天文科学館の大時計。1960年、子午線上に建設されました。高さ54メートルの大時計は、日本標準時を刻み、私たちに正確な時を告げてくれます。
6月10日の「時の記念日」には電車や船舶で子午線を通過する人に記念通過証を発行するなどのイベントが開催されます。
また、明石城から天文科学館へと続く静かな道・「時の道」があります。
「子午線のまち」明石で、多忙な日常から逃れて時空を感じてみてはいかがでしょう?

明石の名物として明石焼きがあります。正式名称は玉子焼きと言いますが、卵だけを使って焼く卵焼きと区別するために、通称の明石焼きと言われることが多くあります。
明石焼きの歴史は古く、たこ焼きの元祖と言われており、どのようにしてできたかは2つの説があります。
江戸時代、お殿様に収めるお菓子を作るとき、卵の黄身だけを使ったので、余った卵白で明石焼きを作ったという説。
1830〜1840年頃、べっ甲細工師江戸屋岩吉がガラスの模型サンゴを作った時、卵白を使ったので、余った黄身と当時よく獲れたタコを使って明石焼きを作ったという説。
たこ焼きとの違いは、ソースをつけずにだし汁につけて食べること、小麦粉に加え、ジン粉を使っているので生地が柔らかいことです。
現在、明石には70店舗以上の明石焼きの店があり、それぞれのお店で伝統の味を守っています。明石市民は間食に、時に食事として日々、明石焼きに親しんでいます。